مَا كَانَ لِلْمُشْرِكِينَ أَن يَعْمُرُوا مَسَاجِدَ اللَّهِ شَاهِدِينَ عَلَىٰ أَنفُسِهِم بِالْكُفْرِ ۚ أُولَٰئِكَ حَبِطَتْ أَعْمَالُهُمْ وَفِي النَّارِ هُمْ خَالِدُونَ ١٧
🔤 Transliteration
maa kaana lilmushrikeena ai ya`muroo masaajidal laahi shaahideena `alaaa anfusihim bilkufr; ulaaa`ika habitat a`maaluhum wa fin naari hum khaalidoon
📖 翻訳 (日本語意味)
📖 日本語意味
多神教徒たちにアッラーのマスジドを,自ら不信心を立証しているのに管理させるべきではない。これらの者の行いは虚しく,かれらは業火の中に永遠に住むであろう。
🌐 Additional reference in 한국어
### 語句の解説
「يَعْمُرُوا」(イァムルー) : マスジドを「建設する」「管理する」「訪れて礼拝する」など、宗教的な意味での「維持・繁栄させる」こと。「شَاهِدِينَ」(シャーヒディーン) : 「証言しながら」の意。自分たちの状態を自ら認めている様子。「حَبِطَتْ」(ハビタト) : 無駄になる、台無しになる。信仰がないために、善行が報われず消滅すること。### アーヤ(9:17)の詳細な解釈
このアーヤでは、シルク(神への仲間付け)を行う者たちが、アッラーのマスジドを「イァムルー」(建設・管理・礼拝の場として繁栄させること)する資格が根本的にないことが明確に示されています。彼らは自分自身に対して、不信仰(クフル)を証言している存在です。つまり、彼らは口先だけでなく、その行いや信仰告白(例:偶像崇拝、預言者ムハンマドの否定、「私はキリスト教徒だ」「私はユダヤ教徒だ」と公言すること)によって、自分たちがアッラーを信じていないことを自ら明らかにしているのです。
この啓示の背景には、バドルの戦いで捕虜となったアッバース(預言者の叔父)が、マッカの多神教徒たちの美点として「我々はマスジド・ハラームを建設し、カアバの管理(ヒジャーバ)や巡礼者への給水(シカーヤ)を行っている」と誇ったことへの応答があります。アッラーは、このような宗教的な奉仕の行為も、信仰(イーマーン)という最も重要な条件が欠けている限り、受け入れられないと明確に宣言されました。
つまり、マスジドの真の「イァムルー」とは、単に建物を建てたり管理したりすることではなく、そこでの礼拝やアッラーへの服従、そして信仰に基づく清らかな行いによって、マスジドを精神的に繁栄させることを意味します。不信仰者がそのような行為を行うことは、相容れない矛盾であり、彼らのあらゆる善行は、信仰という基盤がないために、来世において完全に無駄になってしまいます(ハビタ)。そして、彼らはその不信仰のゆえに、永遠に地獄の業火の中に留まることになるのです。ただし、これは死の間際まで悔悟しなかった場合の話であり、シルクから悔い改めてイスラームを受け入れた者は、この裁きから除外されます。
### このアーヤから得られる教訓と導き
行為の受け入れ条件は「信仰」 : どれほど立派に見える善行でも、根底にアッラーへの信仰と誠実さ(イフラース)がなければ、その価値はありません。イスラームでは、行いの質よりも、その行いを支える心の状態が重要視されます。宗教的権威と資格の明確化 : アッラーの御許(マスジドなど)で奉仕する権利は、信仰者にのみ与えられています。これは、宗教的な指導者や管理者の地位が、信仰と敬虔さによって担われるべきであるという原則を示しています。自己矛盾の否定 : 不信仰を表明しながら、宗教的な美徳を主張することは、大きな矛盾です。このアーヤは、私たちが言行一致した、誠実な信仰者であることの重要性を教えています。悔悟の扉は開かれている : このアーヤの厳しい警告は、不信仰のまま死を迎える者への最終的な宣告です。しかし、同時に、生きている間に悔い改めれば、この裁きから救われるという希望も示唆しています。アッラーの慈悲は、悔悟する者に対して常に広く開かれています。善行の無駄遣いへの警告 : この世での努力や善行が、来世で無駄になることほど悲しいことはありません。このアーヤは、私たちが正しい信仰に基づいて行動することの重大さを、深く心に刻ませてくれます。
مَا كَانَ لِلۡمُشۡرِكِينَ أَن يَعۡمُرُواْ مَسَٰجِدَ ٱللَّهِ شَٰهِدِينَ عَلَىٰٓ أَنفُسِهِم بِٱلۡكُفۡرِۚ أُوْلَٰٓئِكَ حَبِطَتۡ أَعۡمَٰلُهُمۡ وَفِي ٱلنَّارِ هُمۡ خَٰلِدُونَ ١٧
多神教徒たちにアッラーのマスジドを,自ら不信心を立証しているのに管理させるべきではない。これらの者の行いは虚しく,かれらは業火の中に永遠に住むであろう。
🖼️ Save Image
🎬 Save Video
📜 節 15-19 — スーラ アッ・タウバ
15 وَيُذْهِبْ غَيْظَ قُلُوبِهِمْ ۗ وَيَتُوبُ اللَّهُ عَلَىٰ مَن يَشَاءُ ۗ وَاللَّهُ عَلِيمٌ حَكِيمٌ
またアッラーはかれらの心中の激怒を除き,御心に適う者の悔悟を赦されるであろう。アッラーは全知にして英明であられる。
16 أَمْ حَسِبْتُمْ أَن تُتْرَكُوا وَلَمَّا يَعْلَمِ اللَّهُ الَّذِينَ جَاهَدُوا مِنكُمْ وَلَمْ يَتَّخِذُوا مِن دُونِ اللَّهِ وَلَا رَسُولِهِ وَلَا الْمُؤْمِنِينَ وَلِيجَةً ۚ وَاللَّهُ خَبِيرٌ بِمَا تَعْمَلُونَ
それともアッラーは,あなたがたの中(教えのために)奮闘努力する者たち,またアッラーと使徒,と信者たち以外に親しい友を持たない者たちを,まだ知らずに,放って置かれると思うのか。本当にアッラーはあなたがたの行うことを熟知される。
17 مَا كَانَ لِلْمُشْرِكِينَ أَن يَعْمُرُوا مَسَاجِدَ اللَّهِ شَاهِدِينَ عَلَىٰ أَنفُسِهِم بِالْكُفْرِ ۚ أُولَٰئِكَ حَبِطَتْ أَعْمَالُهُمْ وَفِي النَّارِ هُمْ خَالِدُونَ
多神教徒たちにアッラーのマスジドを,自ら不信心を立証しているのに管理させるべきではない。これらの者の行いは虚しく,かれらは業火の中に永遠に住むであろう。
18 إِنَّمَا يَعْمُرُ مَسَاجِدَ اللَّهِ مَنْ آمَنَ بِاللَّهِ وَالْيَوْمِ الْآخِرِ وَأَقَامَ الصَّلَاةَ وَآتَى الزَّكَاةَ وَلَمْ يَخْشَ إِلَّا اللَّهَ ۖ فَعَسَىٰ أُولَٰئِكَ أَن يَكُونُوا مِنَ الْمُهْتَدِينَ
アッラーのマスジドは,ひたすらこれらの者(信者)によって管理されるべきである。(すなわち)アッラーと終末の日を信じ,礼拝の務めを守り,定めの喜捨をなし,アッラー以外の何ものをも恐れない者だけである。これらの者は,正しく導かれる者となるであろう。
19 ۞ أَجَعَلْتُمْ سِقَايَةَ الْحَاجِّ وَعِمَارَةَ الْمَسْجِدِ الْحَرَامِ كَمَنْ آمَنَ بِاللَّهِ وَالْيَوْمِ الْآخِرِ وَجَاهَدَ فِي سَبِيلِ اللَّهِ ۚ لَا يَسْتَوُونَ عِندَ اللَّهِ ۗ وَاللَّهُ لَا يَهْدِي الْقَوْمَ الظَّالِمِينَ
(だが)あなたがたは巡礼者に(水を)飲ませたり,または聖なるマスジドを管理する者と,アッラーと終末の日を信じ,アッラーの道のために奮闘努力する者とを同等にするのか。アッラーの御許では,両者は同等ではない。アッラーは不義の民を導かれない。
翻訳 — アッ・タウバ 17 スーラ アッ・タウバ 節 17 - 読む, 聴く, 翻訳, 日本語 : 多神教徒たちにアッラーのマスジドを,自ら不信心を立証しているのに管理させるべきではない。これらの者の行いは虚しく,かれらは業火の中に永遠に住むであろう。
スーラ 節 17/129 — スーラ アッ・タウバ التوبة (Medinan). 読む 聴く 翻訳 (日本語). 聴く: スーラ アッ・タウバ 聴く, スーラ アッ・タウバ 翻訳, スーラ アッ・タウバ mp3, スーラ アッ・タウバ pdf. 節 15–19. 日本語意味: 한국어.