لَن يَنَالَ اللَّهَ لُحُومُهَا وَلَا دِمَاؤُهَا وَلَٰكِن يَنَالُهُ التَّقْوَىٰ مِنكُمْ ۚ كَذَٰلِكَ سَخَّرَهَا لَكُمْ لِتُكَبِّرُوا اللَّهَ عَلَىٰ مَا هَدَاكُمْ ۗ وَبَشِّرِ الْمُحْسِنِينَ ٣٧
🔤 Transliteration
Lany yanaalal laaha luhoo muhaa wa laa dimaaa`uhaa wa laakiny yanaaluhut taqwaa minkum; kazaalika sakhkharhaa lakum litukabbirul laaha `alaa ma hadaakum; wa bashshirul muhsineen
📖 翻訳 (日本語意味)
📖 日本語意味
それらの肉も血も,決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信〔タクフー〕である。このようにかれは,それらをあなたがた(の用)に供させるが,これはあなたがたへのかれの導きに対し,アッラーを讃えさせるためである。善い行いの者たちに吉報を伝えなさい。
🌐 Additional reference in 한국어
重要な語句の意味: لُحُومُهَا وَلَا دِمَاؤُهَا :犠牲にされる家畜(ラクダや牛など)の肉と血。يَنَالُهُ :ここでは「(神の御許に)届く、受け入れられる」という意味。التَّقْوَىٰ :神を畏れ、その命令に従い、禁じられたことを避ける心。ここでは「誠実さと敬虔さ」を指す。سَخَّرَهَا :それら(犠牲の家畜)を人間のために従わせ、利用できるようにしたこと。لِتُكَبِّرُوا اللَّهَ :アッラーの偉大さを称えること(タクビール)。الْمُحْسِنِينَ :善行者。神への崇拝を誠実に行い、被造物に対しても善く接する人々。解説: アッラーは、犠牲(ウドヒーヤ)の肉や血がご自身に届くことはないと明言されています。これらのものは物理的に神に到達するものではなく、神が求めておられるのは、あなたがたの心からの敬虔さ(タクワー) と誠実な意図 です。つまり、犠牲を捧げる際に、見せかけや虚栄心ではなく、ひたすらアッラーの御顔を求めて行うことこそが、神に受け入れられる鍵なのです。
これは、イスラーム以前のジャーヒリーヤ(無知の時代)の人々が、犠牲の血をカアバ神殿の壁に塗って神に近づこうとした慣習を暗に戒めています。血や肉ではなく、心の誠実さが重要であると教えているのです。
さらにアッラーは、これらの家畜をあなたがたのために従わせ、利用できるようにしてくださったのは、あなたがたが正しい導きを与えられたことへの感謝として、アッラーの偉大さを称えるためであると述べています。つまり、犠牲の儀式は、神への感謝と崇拝の表現であり、その本質は「アッラーの偉大さを心から称えること」にあります。
最後に、預言者(彼の上に平安あれ)に対して、善行者(ムフスィン) たちに吉報を伝えるよう命じられています。善行者とは、神への崇拝を誠実に行い、同時に被造物に対しても善く振る舞う人々のことです。彼らには、現世における祝福と来世における大きな報いが約束されています。
この節から得られる教訓と魅力: 形式よりも本質 :イスラームの儀式は形だけではなく、心の誠実さが最も重視されます。これは、どんな行いも神の前では「心の状態」が問われるという、深く精神的な教えです。神は私たちの必要を満たす方ではない :アッラーは肉や血を必要としません。神は自足された方であり、私たちの崇拝が神に「利益」をもたらすわけではありません。むしろ、私たち自身がその行為を通じて浄化され、神に近づくのです。感謝と称賛の精神 :犠牲の儀式は、日々の生活の中で当たり前のように享受している恵み(家畜など)に対する感謝の表現です。この感謝の心は、人生全体を豊かにします。善行の普遍性 :「善行者」という言葉には、神との関係だけでなく、人との関係における善行も含まれています。イスラームは信仰と実践の一体化を求めており、これこそが幸福への道であることを示しています。希望の吉報 :この節の最後にある「吉報」は、誠実に善行を積む者への神の約束です。イスラームは厳しさだけではなく、慈しみと希望に満ちた宗教であることがここに現れています。
لَن يَنَالَ ٱللَّهَ لُحُومُهَا وَلَا دِمَآؤُهَا وَلَٰكِن يَنَالُهُ ٱلتَّقۡوَىٰ مِنكُمۡۚ كَذَٰلِكَ سَخَّرَهَا لَكُمۡ لِتُكَبِّرُواْ ٱللَّهَ عَلَىٰ مَا هَدَىٰكُمۡۗ وَبَشِّرِ ٱلۡمُحۡسِنِينَ ٣٧
それらの肉も血も,決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信〔タクフー〕である。このようにかれは,それらをあなたがた(の用)に供させるが,これはあなたがたへのかれの導きに対し,アッラーを讃えさせるためである。善い行いの者たちに吉報を伝えなさい。
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📜 節 35-39 — スーラ アル・ハッジ
35 الَّذِينَ إِذَا ذُكِرَ اللَّهُ وَجِلَتْ قُلُوبُهُمْ وَالصَّابِرِينَ عَلَىٰ مَا أَصَابَهُمْ وَالْمُقِيمِي الصَّلَاةِ وَمِمَّا رَزَقْنَاهُمْ يُنفِقُونَ
これらの者は,アッラーの御名が唱えられる時,心は畏怖に満ち,遭遇することによく耐え忍び,礼拝の務めを守り,またわれが授けたものを施す者たちである。
36 وَالْبُدْنَ جَعَلْنَاهَا لَكُم مِّن شَعَائِرِ اللَّهِ لَكُمْ فِيهَا خَيْرٌ ۖ فَاذْكُرُوا اسْمَ اللَّهِ عَلَيْهَا صَوَافَّ ۖ فَإِذَا وَجَبَتْ جُنُوبُهَا فَكُلُوا مِنْهَا وَأَطْعِمُوا الْقَانِعَ وَالْمُعْتَرَّ ۚ كَذَٰلِكَ سَخَّرْنَاهَا لَكُمْ لَعَلَّكُمْ تَشْكُرُونَ
また(犠牲の)ラクダ(や牛)を,われはあなたがたのためアッラーの儀式用とした。それらにはあなたがたへの(多くの)利益がある。(犠牲に供えるに当り)並べて,それらの上にアッラーの御名を唱えなさい。そしてそれらが横ざまに倒れ(動かなくなっ)たならば,あなたがたはそれを食べ,また口に出して請わない者,物請いする者たちに食べさせなさい。このようにそれらをあなたがた(の用)に供させるのもあなたがたに感謝の念を起させるためである。
37 لَن يَنَالَ اللَّهَ لُحُومُهَا وَلَا دِمَاؤُهَا وَلَٰكِن يَنَالُهُ التَّقْوَىٰ مِنكُمْ ۚ كَذَٰلِكَ سَخَّرَهَا لَكُمْ لِتُكَبِّرُوا اللَّهَ عَلَىٰ مَا هَدَاكُمْ ۗ وَبَشِّرِ الْمُحْسِنِينَ
それらの肉も血も,決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信〔タクフー〕である。このようにかれは,それらをあなたがた(の用)に供させるが,これはあなたがたへのかれの導きに対し,アッラーを讃えさせるためである。善い行いの者たちに吉報を伝えなさい。
38 ۞ إِنَّ اللَّهَ يُدَافِعُ عَنِ الَّذِينَ آمَنُوا ۗ إِنَّ اللَّهَ لَا يُحِبُّ كُلَّ خَوَّانٍ كَفُورٍ
本当にアッラーは,信仰する者を守護なされる。アッラーは,裏切り者,恩を忘れる者を御好みになられない。
39 أُذِنَ لِلَّذِينَ يُقَاتَلُونَ بِأَنَّهُمْ ظُلِمُوا ۚ وَإِنَّ اللَّهَ عَلَىٰ نَصْرِهِمْ لَقَدِيرٌ
戦いをし向ける者に対し(戦闘を)許される。それはかれらが悪を行うためである。アッラーは,かれら(信者)を力強く援助なされる。
翻訳 — アル・ハッジ 37 スーラ アル・ハッジ 節 37 - 読む, 聴く, 翻訳, 日本語 : それらの肉も血も,決してアッラーに達する訳ではない。かれに届くのはあなたがたの篤信〔タクフー〕である。このようにかれは,それらをあなたがた(の用)に供させるが,これはあなたがたへのかれの導きに対し,アッラーを讃えさせるためである。善い行いの者たちに吉報を伝えなさい。
スーラ 節 37/78 — スーラ アル・ハッジ الحج (Medinan). 読む 聴く 翻訳 (日本語). 聴く: スーラ アル・ハッジ 聴く, スーラ アル・ハッジ 翻訳, スーラ アル・ハッジ mp3, スーラ アル・ハッジ pdf. 節 35–39. 日本語意味: 한국어.