مَا كَانَ لِلنَّبِيِّ وَالَّذِينَ آمَنُوا أَن يَسْتَغْفِرُوا لِلْمُشْرِكِينَ وَلَوْ كَانُوا أُولِي قُرْبَىٰ مِن بَعْدِ مَا تَبَيَّنَ لَهُمْ أَنَّهُمْ أَصْحَابُ الْجَحِيمِ ١١٣
🔤 Transliteration
Maa kaana lin nabiyyi wallazeena aamanooo ai yastaghfiroo lilmushrikeena wa law kaanoo ulee qurbaa mim ba`di maa tabiyana lahum annahum Ashaabul jaheem
📖 翻訳 (日本語意味)
📖 日本語意味
多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。
🌐 Additional reference in 한국어
重要な語句の意味 يَسْتَغْفِرُوا :「(アッラーに)赦しを乞う」という意味で、ここでは預言者や信者たちが、アッラーに対して他人の罪の赦しを求めることを指します。لِلْمُشْرِكِينَ :「シルク(アッラーへの併置)を行う者たち」、つまり多神教徒のことです。أُوْلِي قُرْبَى :「近親者」という意味で、血縁関係のある身内のことを指します。أَصْحَابُ الْجَحِيمِ :「地獄の住人」という意味で、地獄に入る運命にある者たちのことです。解説 この高貴な御言葉は、預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)と信仰者たちに対して、多神教徒のために赦しを求めることを禁じています。たとえ彼らが自分たちの親族や近しい者であっても、彼らがシルク(アッラーへの併置)の状態のまま死を迎え、地獄の住人となることが明らかになった後は、彼らのために赦しを乞うことは許されません。
この禁令の理由は、多神教徒がシルクの状態でこの世を去ったならば、アッラーは彼らを決してお赦しにならないからです。アッラーは明確にこう仰せられています:「本当にアッラーは、シルク(アッラーに何かを併置すること)を赦し給わない」(婦人章48節)。また別の御言葉では:「本当に、アッラーにシルクを行う者は、アッラーが天国を彼に禁じられたのである」(食卓章72節)とあります。
つまり、預言者や信者たちが多神教徒の親族のために赦しを求めることは、もはや無意味であるだけでなく、アッラーの明確な決定に反することになります。この禁令は、預言者が自分の叔父アブー・ターリブのために赦しを求めた出来事に関連して下されたと伝えられています。
この御言葉から得られる教訓と恵み アッラーの御意志への絶対的な服従 :この御言葉は、私たちがどれほど親しい人であっても、アッラーの明確な決定に従わなければならないことを教えています。感情や人間関係よりも、アッラーの命令が最優先されるのです。シルクの重大さ :この御言葉は、シルク(アッラーへの併置)が赦されない最大の罪であることを明確に示しています。これは、私たちがシルクから遠ざかり、純粋な信仰(タウヒード)を守ることの重要性を強調しています。預言者の慈愛と私たちの模範 :預言者ムハンマド(彼の上にアッラーの祝福と平安あれ)は、自分の親族のために赦しを求めたほど慈愛深い方でした。しかし、アッラーの命令が下ると、彼は完全にそれに従いました。これは、私たちがアッラーの命令と預言者の教えに従うことの模範を示しています。信仰の優先順位 :この御言葉は、信仰者としての優先順位を明確にしています。血縁関係や人間関係よりも、信仰とアッラーへの服従が優先されるべきです。しかし同時に、生きている間に親族を正しい道へ導く努力をすることの大切さも示唆しています。悔悟の機会の尊さ :この御言葉は、生きている間に悔悟し、正しい信仰に立ち返る機会の尊さを教えています。死後には赦しを求める機会はなくなるのです。
مَا كَانَ لِلنَّبِيِّ وَٱلَّذِينَ ءَامَنُوٓاْ أَن يَسۡتَغۡفِرُواْ لِلۡمُشۡرِكِينَ وَلَوۡ كَانُوٓاْ أُوْلِي قُرۡبَىٰ مِنۢ بَعۡدِ مَا تَبَيَّنَ لَهُمۡ أَنَّهُمۡ أَصۡحَٰبُ ٱلۡجَحِيمِ ١١٣
多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。
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📜 節 111-115 — スーラ アッ・タウバ
111 ۞ إِنَّ اللَّهَ اشْتَرَىٰ مِنَ الْمُؤْمِنِينَ أَنفُسَهُمْ وَأَمْوَالَهُم بِأَنَّ لَهُمُ الْجَنَّةَ ۚ يُقَاتِلُونَ فِي سَبِيلِ اللَّهِ فَيَقْتُلُونَ وَيُقْتَلُونَ ۖ وَعْدًا عَلَيْهِ حَقًّا فِي التَّوْرَاةِ وَالْإِنجِيلِ وَالْقُرْآنِ ۚ وَمَنْ أَوْفَىٰ بِعَهْدِهِ مِنَ اللَّهِ ۚ فَاسْتَبْشِرُوا بِبَيْعِكُمُ الَّذِي بَايَعْتُم بِهِ ۚ وَذَٰلِكَ هُوَ الْفَوْزُ الْعَظِيمُ
本当にアッラーは,信者たちからその生命と財産を贖われた。かれらのため(の代償)は,楽園である。かれらはアッラーの道のために戦い,殺し,また殺される。それは律法と福音とクルアーンとを通じて,かれが結ばれる真実な約束である。誰がアッラー以上に,約束に忠実であろうか。だからあなたがたが結んだ契約を喜べ。それこそは至上の幸福の成就である。
112 التَّائِبُونَ الْعَابِدُونَ الْحَامِدُونَ السَّائِحُونَ الرَّاكِعُونَ السَّاجِدُونَ الْآمِرُونَ بِالْمَعْرُوفِ وَالنَّاهُونَ عَنِ الْمُنكَرِ وَالْحَافِظُونَ لِحُدُودِ اللَّهِ ۗ وَبَشِّرِ الْمُؤْمِنِينَ
悔悟して(アッラーに)返る者,仕える者,讃える者,斎戒する者,立礼する者,サジダする者,善を勧める者,悪を禁ずる者,そしてアッラーが定められた限界を守る者。これらの信者たちに,この吉報を伝えなさい。
113 مَا كَانَ لِلنَّبِيِّ وَالَّذِينَ آمَنُوا أَن يَسْتَغْفِرُوا لِلْمُشْرِكِينَ وَلَوْ كَانُوا أُولِي قُرْبَىٰ مِن بَعْدِ مَا تَبَيَّنَ لَهُمْ أَنَّهُمْ أَصْحَابُ الْجَحِيمِ
多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。
114 وَمَا كَانَ اسْتِغْفَارُ إِبْرَاهِيمَ لِأَبِيهِ إِلَّا عَن مَّوْعِدَةٍ وَعَدَهَا إِيَّاهُ فَلَمَّا تَبَيَّنَ لَهُ أَنَّهُ عَدُوٌّ لِّلَّهِ تَبَرَّأَ مِنْهُ ۚ إِنَّ إِبْرَاهِيمَ لَأَوَّاهٌ حَلِيمٌ
イブラーヒームが自分の父のために,御赦しを求めて祈ったのは,只かれ(父)と約束があったためである。それでかれ(父)がアッラーの敵であることが明白になった時,かれ(父)との関係を断った。本当にイブラーヒームは,柔和で辛抱強い人物であった。
115 وَمَا كَانَ اللَّهُ لِيُضِلَّ قَوْمًا بَعْدَ إِذْ هَدَاهُمْ حَتَّىٰ يُبَيِّنَ لَهُم مَّا يَتَّقُونَ ۚ إِنَّ اللَّهَ بِكُلِّ شَيْءٍ عَلِيمٌ
アッラーは,人びとを導かれた後,かれらの守るべきことを解明されるまでは決して迷わせたりしない。本当にアッラーは凡てのことを知っておられる。
翻訳 — アッ・タウバ 113 スーラ アッ・タウバ 節 113 - 読む, 聴く, 翻訳, 日本語 : 多神教徒のために,御赦しを求めて祈ることは,仮令近親であっても,かれらが業火の住人であることが明らかになった後は,預言者にとり,また信仰する者にとり妥当ではない。
スーラ 節 113/129 — スーラ アッ・タウバ التوبة (Medinan). 読む 聴く 翻訳 (日本語). 聴く: スーラ アッ・タウバ 聴く, スーラ アッ・タウバ 翻訳, スーラ アッ・タウバ mp3, スーラ アッ・タウバ pdf. 節 111–115. 日本語意味: 한국어.