وَإِذَا أَنْعَمْنَا عَلَى الْإِنسَانِ أَعْرَضَ وَنَأَىٰ بِجَانِبِهِ وَإِذَا مَسَّهُ الشَّرُّ فَذُو دُعَاءٍ عَرِيضٍ ٥١
🔤 Transliteration
Wa izaaa an`amnaa `alal insaani a`rada wa na-aa bijaani bihee wa izaa massahush sharru fazoo du`aaa`in `areed
📖 翻訳 (日本語意味)
📖 日本語意味
われが人間に恩恵を示せば,かれは脇を向いて,(われに近付かず反って)退き去る。だが一度災厄に会えば長々と十分に祈る。
🌐 Additional reference in 한국어
### 語句の意味
أَعْرَضَ : 背を向けて、立ち去る。恩恵に対して感謝や服従の態度を取らずに、顔を背けること。وَنَأَى بِجَانِبِهِ : 体を横に向けて遠ざかる。高慢さや尊大さから、真理や服従から距離を置く様子。الشَّرُّ : ここでは、病気、貧困、苦難など、人にとって嫌なことや害となるもの。فَذُو دُعَاءٍ عَرِيضٍ : 「عَرِيض」は「広い」という意味で、ここでは「多い」「長い」という意味。つまり、非常に多くの(または長々とした)祈りを捧げる者、という意味。### 解説
われわれが人間に対して、健康や富、安全などの恩恵を授けると、その人間は恩恵を受けたにもかかわらず、われわれへの感謝と服従から背を向け、高慢ちきに振る舞います。彼は真理に対して顔を背け、あたかも自分には何も必要ないかのように、思い上がって遠ざかってしまうのです。
しかし、その同じ人間に、病気や貧困などの苦難が降りかかると、今度はわれわれに必死にすがりつき、苦難を取り除いてもらうために、長くて多くの祈りを捧げるようになります。つまり彼は、苦しい時だけ神を思い出し、恵まれている時には神を忘れ、感謝もせず、また試練に遭った時には忍耐もせず、ただ不平不満を言い募るだけなのです。
このように、人間は弱さと忘恩の性質を持っています。豊かさの中では神を忘れ、苦しみの中では神に縋る。この姿は、信仰の弱さと、人間の本質的な弱さを如実に示しています。
### この節から得られる教訓と導き
恩恵における試練 : 私たちは、豊かさや健康という恩恵の中にいる時こそ、それらが神からの贈り物であることを忘れず、感謝の心を持ち続けるべきです。苦難の時だけではなく、安楽の時こそ信仰が試されているのです。一貫した信仰の大切さ : 苦しい時だけ神に祈り、楽しい時には神を忘れるという態度は、真の信仰とは言えません。信仰とは、安楽の中でも苦難の中でも、常に神を意識し、感謝と忍耐をもって生きることです。高慢の危険性 : 恩恵を受けた時に「自分の力で手に入れた」と思い上がり、神から背を向けることは、大きな過ちです。すべての恩恵は神の慈悲によるものであり、それに対して謙虚であることが求められます。神の無限の慈悲 : この節は人間の弱さを指摘していますが、同時に、そのような弱い人間に対して、神は苦難の時に祈りを受け入れ、応えてくださるという慈悲の広さも示しています。神は、私たちがどんな状態にあっても、祈りを聞き入れ、助けてくださるお方なのです。自己省察の機会 : 私たちはこの節を通して、自分自身の態度を振り返るべきです。日々の生活の中で、神の恩恵に感謝しているか、それとも忘れているか。苦難の時だけ神に頼るのではなく、常に神と共にある生き方を目指しましょう。この節は、人間の弱さを戒めると同時に、真の信仰とは何かという深い問いを投げかけています。そして、神は私たちが常に神を覚え、感謝と忍耐のうちに生きることを望んでおられるのです。
وَإِذَآ أَنۡعَمۡنَا عَلَى ٱلۡإِنسَٰنِ أَعۡرَضَ وَنَـَٔا بِجَانِبِهِۦ وَإِذَا مَسَّهُ ٱلشَّرُّ فَذُو دُعَآءٍ عَرِيضٍ ٥١
われが人間に恩恵を示せば,かれは脇を向いて,(われに近付かず反って)退き去る。だが一度災厄に会えば長々と十分に祈る。
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📜 節 49-53 — スーラ フッスィラート
49 لَّا يَسْأَمُ الْإِنسَانُ مِن دُعَاءِ الْخَيْرِ وَإِن مَّسَّهُ الشَّرُّ فَيَئُوسٌ قَنُوطٌ
人間は幸福を祈って,疲れることをしらない。だが不幸に見舞われると,落胆し絶望してしまう。
50 وَلَئِنْ أَذَقْنَاهُ رَحْمَةً مِّنَّا مِن بَعْدِ ضَرَّاءَ مَسَّتْهُ لَيَقُولَنَّ هَٰذَا لِي وَمَا أَظُنُّ السَّاعَةَ قَائِمَةً وَلَئِن رُّجِعْتُ إِلَىٰ رَبِّي إِنَّ لِي عِندَهُ لَلْحُسْنَىٰ ۚ فَلَنُنَبِّئَنَّ الَّذِينَ كَفَرُوا بِمَا عَمِلُوا وَلَنُذِيقَنَّهُم مِّنْ عَذَابٍ غَلِيظٍ
災厄にあった後われの慈悲に浴させると,かれは必ず,「これはわたし(の力)には当然のことです。(審判の)時が,来るとは考えられません。また主に婦されても,わたしはかれの御許で,褒美をもらいます。」と言う。だがわれはこれら不信心の者に対し,その行ったことを示し,必ず手荒い懲罰を味わせる。
51 وَإِذَا أَنْعَمْنَا عَلَى الْإِنسَانِ أَعْرَضَ وَنَأَىٰ بِجَانِبِهِ وَإِذَا مَسَّهُ الشَّرُّ فَذُو دُعَاءٍ عَرِيضٍ
われが人間に恩恵を示せば,かれは脇を向いて,(われに近付かず反って)退き去る。だが一度災厄に会えば長々と十分に祈る。
52 قُلْ أَرَأَيْتُمْ إِن كَانَ مِنْ عِندِ اللَّهِ ثُمَّ كَفَرْتُم بِهِ مَنْ أَضَلُّ مِمَّنْ هُوَ فِي شِقَاقٍ بَعِيدٍ
言ってやるがいい。「あなたがたは考えないのか。もしそれが,(本当に)アッラーから(下された)ものであっても,あなたがたは信じないのか。遠く離れ去って分裂する者ほど,酪く迷った者が(外に)あろうか。」
53 سَنُرِيهِمْ آيَاتِنَا فِي الْآفَاقِ وَفِي أَنفُسِهِمْ حَتَّىٰ يَتَبَيَّنَ لَهُمْ أَنَّهُ الْحَقُّ ۗ أَوَلَمْ يَكْفِ بِرَبِّكَ أَنَّهُ عَلَىٰ كُلِّ شَيْءٍ شَهِيدٌ
われは,わが印が真理であることが,かれらに明白になるまで,(遠い)空の彼方において,またかれら自身の中において(示す)。本当にあなたがたの主は,凡てのことの立証者であられる。そのことだけでも十分ではないか。
翻訳 — フッスィラート 51 スーラ フッスィラート 節 51 - 読む, 聴く, 翻訳, 日本語 : われが人間に恩恵を示せば,かれは脇を向いて,(われに近付かず反って)退き去る。だが一度災厄に会えば長々と十分に祈る。
スーラ 節 51/54 — スーラ フッスィラート فصلت (Meccan). 読む 聴く 翻訳 (日本語). 聴く: スーラ フッスィラート 聴く, スーラ フッスィラート 翻訳, スーラ フッスィラート mp3, スーラ フッスィラート pdf. 節 49–53. 日本語意味: 한국어.