قَالَ الَّذِينَ حَقَّ عَلَيْهِمُ الْقَوْلُ رَبَّنَا هَٰؤُلَاءِ الَّذِينَ أَغْوَيْنَا أَغْوَيْنَاهُمْ كَمَا غَوَيْنَا ۖ تَبَرَّأْنَا إِلَيْكَ ۖ مَا كَانُوا إِيَّانَا يَعْبُدُونَ ٦٣
🔤 Transliteration
Qaalal lazeena haqqa `alaihimul qawlu Rabbanaa haaa`ulaaa`il lazeena aghwainaa aghwainaahu kamaa ghawainaa tabarraanaaa ilaika maa kaanoo iyyaanaa ya`budoon
📖 翻訳 (日本語意味)
📖 日本語意味
判決が言い渡される者たち(不信心者)は言う。「主よ,これらは,わたしたちが迷わせた者(外の不信心者)です。かれらを迷わせましたが自分たちも迷っていたのです。だがわたしたちは,あなたに対して潔白です。かれらが拝したのは,決してわたしたちではありません。」
🌐 Additional reference in 한국어
語句の解説: حَقَّ عَلَيْهِمُ الْقَوْلُ :「彼らに対して(懲罰の)言葉が確定した」という意味で、アッラーが「我はジンと人間の全てで地獄を満たす」と宣言されたことの実現が確定した者たちを指します。أَغْوَيْنَا :「我々は(彼らを)迷わせた、誘惑した」という意味です。غَوَيْنَا :「我々自身も迷った」という意味です。تَبَرَّأْنَا إِلَيْكَ :「我々はあなた(アッラー)に対して(彼らとの関係を)無関係であると宣言する」という意味です。解説: この場面は、審判の日の光景を描いています。アッラーは、地獄の懲罰が確定した者たち、すなわち不信仰へと導いた指導者たち(首領たち)の発言を伝えられます。彼らはこう言います。
「我々の主よ、これらの者たちは、我々が迷わせた者たちです。我々が迷ったように、彼らも迷わせました。しかし、彼らが迷ったのは我々の強制によるものではなく、彼ら自身の選択と欲望によるものでした。我々は彼らに悪を勧めただけであり、彼らは自らの意志でそれに従ったのです。」
そして彼らは続けます。「我々はあなたに対して、彼らとの関係を完全に断ち切り、無関係であることを宣言します。彼らは決して我々を崇拝していたわけではありません。実際には、彼らは自分たちの欲望や悪魔を崇拝していたのです。彼らが我々を崇拝していたというのは、我々に対する偽りの主張に過ぎません。」
つまり、指導者たちはこの日、自分たちの罪を認めつつも、従った者たちの罪は彼ら自身の選択によるものであると主張し、互いに責任を転嫁し合うのです。しかし、アッラーの裁きは公正であり、各人は自分自身の行いによって報いを受けることになります。
この節から得られる教訓と導き: 模範となる者の責任の重さ :人を導く立場にある者は、その影響力の大きさゆえに、自分自身の行いだけでなく、自分に従った者たちの行いに対しても責任を問われることを深く自覚すべきです。正しい導きへと招く者は大きな報酬を得ますが、誤った道へ招く者は大きな罪を背負うことになります。自己責任の原則 :誰も他人のせいにして自分の罪を免れることはできません。たとえ誰かに誘惑されたとしても、最終的に選択したのは自分自身であり、その責任は自分にあることを忘れてはなりません。現世の権力や地位の虚しさ :現世でどれほど多くの追随者を持っていたとしても、来世では何の助けにもなりません。真実の前では、すべての人間関係が明らかになり、偽りの関係は消え去ります。悪魔と欲望への警戒 :人間が実際に崇拝しているものは、偶像や人間ではなく、しばしば自分自身の欲望や悪魔の囁きであることを認識し、常にアッラーだけを真の崇拝の対象とすることの重要性を学びます。悔悟の機会の大切さ :この節は、現世において悔悟し、アッラーに立ち返る機会が与えられていることの尊さを教えてくれます。審判の日には悔悟も弁解も受け入れられませんが、今この瞬間ならば、アッラーの無限の慈悲に立ち返ることができるのです。
قَالَ ٱلَّذِينَ حَقَّ عَلَيۡهِمُ ٱلۡقَوۡلُ رَبَّنَا هَٰٓؤُلَآءِ ٱلَّذِينَ أَغۡوَيۡنَآ أَغۡوَيۡنَٰهُمۡ كَمَا غَوَيۡنَاۖ تَبَرَّأۡنَآ إِلَيۡكَۖ مَا كَانُوٓاْ إِيَّانَا يَعۡبُدُونَ ٦٣
判決が言い渡される者たち(不信心者)は言う。「主よ,これらは,わたしたちが迷わせた者(外の不信心者)です。かれらを迷わせましたが自分たちも迷っていたのです。だがわたしたちは,あなたに対して潔白です。かれらが拝したのは,決してわたしたちではありません。」
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📜 節 61-65 — スーラ アル・カサス
61 أَفَمَن وَعَدْنَاهُ وَعْدًا حَسَنًا فَهُوَ لَاقِيهِ كَمَن مَّتَّعْنَاهُ مَتَاعَ الْحَيَاةِ الدُّنْيَا ثُمَّ هُوَ يَوْمَ الْقِيَامَةِ مِنَ الْمُحْضَرِينَ
われが良い約束を約し,それが果される者と,現世の生活の快楽を享受し,それから復活の日に(懲罰ののために)連れ出されるような者と,同じであろうか。
62 وَيَوْمَ يُنَادِيهِمْ فَيَقُولُ أَيْنَ شُرَكَائِيَ الَّذِينَ كُنتُمْ تَزْعُمُونَ
その日(主は)かれらに呼びかけて,仰せられる。「あなたがたが言い張っていた,わが仲間たち(の神々)は何処にいるのか。」
63 قَالَ الَّذِينَ حَقَّ عَلَيْهِمُ الْقَوْلُ رَبَّنَا هَٰؤُلَاءِ الَّذِينَ أَغْوَيْنَا أَغْوَيْنَاهُمْ كَمَا غَوَيْنَا ۖ تَبَرَّأْنَا إِلَيْكَ ۖ مَا كَانُوا إِيَّانَا يَعْبُدُونَ
判決が言い渡される者たち(不信心者)は言う。「主よ,これらは,わたしたちが迷わせた者(外の不信心者)です。かれらを迷わせましたが自分たちも迷っていたのです。だがわたしたちは,あなたに対して潔白です。かれらが拝したのは,決してわたしたちではありません。」
64 وَقِيلَ ادْعُوا شُرَكَاءَكُمْ فَدَعَوْهُمْ فَلَمْ يَسْتَجِيبُوا لَهُمْ وَرَأَوُا الْعَذَابَ ۚ لَوْ أَنَّهُمْ كَانُوا يَهْتَدُونَ
すると言われよう。「あなたがたの仲間に祈るがよい。」それでかれらはそれらに祈るのだが,それらは答えない。かれらは懲罰を見るであろう。もしかれらが導かれていたならば(よかったものを)。
65 وَيَوْمَ يُنَادِيهِمْ فَيَقُولُ مَاذَا أَجَبْتُمُ الْمُرْسَلِينَ
その日,かれはかれらに呼び掛けて仰せられる。「あなたがたは,使徒に何と答えたのか。」
翻訳 — アル・カサス 63 スーラ アル・カサス 節 63 - 読む, 聴く, 翻訳, 日本語 : 判決が言い渡される者たち(不信心者)は言う。「主よ,これらは,わたしたちが迷わせた者(外の不信心者)です。かれらを迷わせましたが自分たちも迷っていたのです。だがわたしたちは,あなたに対して潔白です。かれらが拝したのは,決してわたしたちではありません。」
スーラ 節 63/88 — スーラ アル・カサス القصص (Meccan). 読む 聴く 翻訳 (日本語). 聴く: スーラ アル・カサス 聴く, スーラ アル・カサス 翻訳, スーラ アル・カサス mp3, スーラ アル・カサス pdf. 節 61–65. 日本語意味: 한국어.